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景気は良くなるか?


結論から言うと、残念ながら良くはならない


  • どうして高度経済成長期の日本は景気はよかったのか?

中南米の島国の状況を見てみよう。 街には木の下に座ったりしてぶらぶらしている大人たちが大勢いる。 このような状況で経済がぐんぐん伸びていくという事がありうるだろうか? ありえる訳がない。 当たり前の話だが、放っておいても景気は良くならないのである。 良くなるからには理由というものが必ずあるのだ。

高度経済成長期の日本は輸出による貿易黒字がカギだった。 当時の日本の労働者の賃金は安く、大卒の初任給でも二万円程度だった。 これは現在の中国の賃金とほぼ同じである。 この安い労働力を使って次々と安い製品を海外に輸出し、経済が大きく成長を遂げたのである。 当時のアメリカが日本製品を買ってくれたおかげで、日本は中南米の島国とは違う道を歩み出せたのである。 これは現在でも変わっておらず、相変わらず日本の景気はアメリカ次第という状況が続いている。

日本は中東の産油国と違って天然資源はほとんどない。 石油も鉄も銅も100%輸入するしかない。 比較的豊富にあるのは水と天然ガスくらいだろうか。 コメは輸入していないが、政府がやらせないように踏ん張っているだけで、安いコメを輸入した方がはるかに消費者にとってはメリットが高い。 農協は自民党の大きな支援団体だから、どんな手を使ってでも自由化は食い止めようとする。 他にも色々な理由をつけて、自由化すべきでないと言う。 ハッキリ言って農業重視の、消費者に対する政府の嫌がらせとしか思えない。 食料自給率が下がると戦争になったときに困ると主張する人間もいるが、世界には水を輸入している国もあるのだ。 日本が一国だけ世界で孤立するのならともかく、食料の調達先ならいくらでもある。 日本が輸入を自由化したら、世界各地でコシヒカリを生産するだろうから、確実に味も向上し値段も下がる。 しかも南半球で作った新米が春に流通し、年に二回おいしいコメが食べられるようになる。

バナナ以外にはさしたる輸出品もない中南米諸国のことを皮肉って「バナナ・リパブリック」と呼ぶ(同じ名前のファッションブランドもある)。 それらの国の人々だって豊かになろうと思っている。 それどころか日本人以上にその願望は強いだろう。 日本がバナナリパブリックにならなかったのは幸運なだけである。

バナナリパブリックでは金持ちになるチャンスがほとんどないから、海外(特にアメリカ)に行くことが必須となる。 英語を真剣に勉強するのも、成功への第一歩だからだ。 日本人の英語がダメなのは、国内でも「ある程度」の成功の可能性があるからである。 しかしこれからはそうは行かない。 コンピュータソフトなどの開発は、5万円のパソコンでもできる。 ビッグビジネスを始めるのに、頭脳だけがあればいい訳で、元手が要らないと言うことになる。 だから中国やインドのような貧困国にはちょうどいい業種である。 大学を卒業したのに、「サイン」「コサイン」も分からないようなバカばかりの日本に勝ち目はない。 おまけに日本では英語はまったく通じない。 反論する人間もいるが、試しにタクシーに乗って英語で運転手と会話してみるといい。 大手の海外企業が続々とアジア拠点を、日本からシンガポールや上海に移転しているのを見れば分かるだろう。 知的生産には日本は不向きなのだ。 そういう国らが、これからの日本のライバルなのである

さて話をもとに戻そう。 そもそもアメリカはどうして日本製品を買ったのだろうか? 理由は簡単だ。 日本製品が安くてそこそこの品質だったからである。 品質もはじめのうちは悪かったのだが次第に良くなっていき、ついにはアメリカを凌ぐほどにまでなった。 しかし勘違いしてはいけない。 あくまでも安かったから買ってくれたまでの話である。


  • 今の不況の原因は?

では今の不況の原因は何だろうか? 答えは明らかである。 中国の台頭が原因だ。 中国にとって楽なのは日本というお手本が存在することである。 安くて「まあまあ」の品質の製品を作れば必ず売れるとわかっているのだ。 しかも貿易相手国はアメリカだけでなく、日本でもいいのである。 国内の賃金が高くて、安い製品を作れない国すべてが商売相手になるのだ。

中国の現状は、まるっきり日本の経済成長期と同じだと言っていいだろう。 近い将来に日本を追い抜くのは確実である。 今でこそ上海に行っても中国人たちが片言の日本語で商売をしてくれるが、まもなく秋葉原で日本人が片言の中国語で中国人相手に商売をする日が来ることだろう。

でもそのときは中国人は日本には来ないかもしれない。 落ちぶれた過去の経済大国に、何も魅力はないのだから。 しかも日本でわざわざ高い商品を買わなくても、もっと品質が良くて安い製品が中国国内にいくらでもあるから、そもそも買う理由がない。 ルイ・ヴィトンのかばんなら高くても欲しいと思うかもしれまないが、日本にはそこまでのブランド力が乏しいのだ。


  • ブランド化志向の日本

最近、日本のメーカーのブランド化を進めようという動きが盛んである。 各社一斉にさまざまな戦略を立てているが、これはルイ・ヴィトンのようにならないと生き延びることが不可能だと気づいたからである。 でもちょっと遅いだろう。 まず日本には伝統という重みがない。 たかだかここ50年程度で大きく成長した企業ばかりである。 それに「良いものを安く」という戦略と矛盾してしまう。

多くの人がビデオデッキやDVDプレーヤーなどを買うときは、日本の会社のものを選ぶだろう。 韓国のより壊れないような気がするからである。 しかし製造しているのは中国である。 現地に行ってみれば分かるが、実は同じ工業団地の隣同士の会社だったりする。 働いている人のレベルにも差があるわけではない。 違うのは監督している人間と、ビデオデッキに張ってあるロゴマークだけである。

実はこの品質管理というのは非常に重要である。 同じように中国で作っていても日本の一流メーカーの製品と100円ショップに並んでいる商品とではちょっと違う。 しかし品質管理というのは考え方一つの部分が多く、明日からでもできるような事ばかりである。 だからある日突然、中国製品の品質が急激に向上するのは目に見えている。 日本の経済成長というお手本もあるし、中国国内に工場進出した外国企業からノウハウを蓄積できるからである。

ビデオデッキは日本のメーカーを選んだが、他の商品ではどうだろうか? 昔タッパーウェアという商品があった。 プラスチックで作られた容器だが、当時は非常に高価なものだった。 現在、我々はこの手の商品をどこで買っているか考えてみよう。 100円ショップで買っていないだろうか? スーパーとかで480円で売っていても、
高い!100円ショップで4つ買っておつりが来る」
と思うだけである。 しかもスーパーで買った直後に、100円ショップを覗いたりした日には、
「だまされた!」
としか感じない。 仮にスーパーで売っている商品の方が耐久性に優れていて2倍長持ちしたとしても、100円ショップで新品を買いなおした方が得である。 またブランドなどというものは関係ない類の商品であり、消費者はそんな容器にブランド性は必要ないと感じている。 もしルイ・ヴィトンが高額なタッパー容器を作ったとして誰が買うだろうか? 買うと威張れるような気もするが、たぶん世間知らずだと馬鹿にされるのがオチである。

ところでソニーが一部のブランド路線を中止したと発表があった。 何の根拠もなく一部の製品をブランド化し、高い価格で販売していたのだ。 別に性能がいい訳ではなく、通常の製品と同じである。 消費者がそのようなものを買う訳もなく、結局中止に追い込まれた次第である。 当然の結果と言えよう。

興味深いのはアップルコンピュータだ。 マッキントッシュやiTunesなどで成功し、続くiPhoneでもヒットを飛ばしている。 価格は類似の競合製品(たいていアップルの猿真似製品)と比べても高いと言えよう。 しかしユーザはアップルのブランド力の前に簡単に金を出している。 こういったブランド戦略ですばらしい成功を収めている会社もあるのだ。


  • 韓国ブランドの台頭

ところでソニーは確かにアメリカでは一流ブランドとして定着している。 日本で一流ブランドと言えばパナソニックや東芝やシャープなども挙げられるだろうが、意外にもアメリカでは三流ブランドにとどまっている。 しかも韓国のサムソンやLGの方がソニーよりブランド力があるかもしれない。 携帯電話では全くもって日本勢は全滅である。 日本国内では日本製が主流なのと好対照と言える。 世界の主流とかけ離れているのだ。

ヒュンダイ(アメリカでの発音は「ホンデイ」に近いのでうっかりすると「ホンダ」と聞き間違えそうになる)、KIAなども売り上げを伸ばしており、まもなく日産を抜く勢いだという。 だがヒュンダイは日本市場から撤退したそうである。 これは仕方がない。 日本人は韓国ブランドなど受け入れないのである。 ドイツとかヨーロッパならいいが、韓国など日本のかつての植民地で、発展途上国に過ぎないと思っているのである。 少しは現実を見直した方がいいのではないか。 日本も40年前はただの東洋の発展途上国だったのだから。


  • 「井の中の蛙」日本製品の没落

これとよく似た現象を思い出した。 NECのPC-9800シリーズである。 世界中の人々がIBM互換機のパソコンを使っているにも関わらず、日本だけがPC98が主流だった。 PC98が50万円した頃に、同性能のIBM互換機は20万円で買えた。 NECがIBMとの比較TVコマーシャルを放送したり、躍起になったがダメだった。 消費者も馬鹿ではない。 ウィンドゥズの普及と共に、一気にPC98は姿を消した。

NECは協賛企業だけで行う展示会「NECパソコンフェア」を開催していた。 そこに行くとPC98以外は使い物にならないような錯覚に陥らされた。 集団催眠というか、洗脳教育とでも言うべきか。 PC98の互換機を作っていたエプソンは招待されていない。 NECの売り上げを妨害する敵だからだ。 NECはエプソンのパソコンでは動作しないように細工したMS-DOSなどを販売していた。 ところがIBM互換機の勢力拡大により、NECパソコンフェアの末期になってからは、NECからのラブコールで参加要請があった。 もちろんエプソン側はこの参加要請を断っている。 当たり前だ。 今まで散々妨害されてきたのに、いまさら仲間入りしてくれとは笑わせる。 参加を固辞したエプソンのプライドを賞賛したい。

NECと協調路線を取っていたジャストシステムも、NECの斜陽と共に業界から消えていった。 ジャストシステムの問題点は色々あった。 ジャストウィンドゥというウィンドゥズに対抗した独自のシステムを作ったが、協力する会社はゼロ。 全てグラフィックで描画するウィンドゥズより、PC98のテキストプレーンを使って文字を表示するジャストウィンドゥの方が速いと宣伝した。 わたしは1993年当時、ウィンドゥズ3.0とジャストウィンドゥを両方使っていたが、むしろウィンドゥズの方が軽かった印象がある。 しかもジャストウィンドゥは640×400(PC98は480ではなく400ピクセルだった)固定だが、ウィンドゥズはハイレゾにも対応していた。

また一太郎は当初プリンタはNECのPR201互換プリンタしかサポートしていなかった。 後になっていろいろなメーカーのをサポートし始めたが、何百種類ものプリンタに対応しているウィンドゥズには圧倒的に及ばなかった。 仕方なくウィンドゥズ版を出したが、Wordに比べて重かった。 キー操作もウィンドゥズの標準とはかけ離れたものだった。 新規ユーザは見向きもしなかった。

だが一太郎の最大の失敗は、「段落」という概念がなかった点だろう。 「縦20行、横20列の原稿用紙」に代表されるように、日本では縦横の文字数がスタンダードだった。 一太郎がこの路線に従った製品になったのも分からなくはない。 したがって一太郎で作成したA4用紙向けの文章をB5用紙に変更するには、文字を小さくする以外になかった。 ところがインターネットの文章をウィンドゥズ上で閲覧した場合、横に何文字表示できるかはウィンドゥの大きさで決まってしまう。 右端まで行ったら折り返して次の行に続きが表示されるのをユーザは期待する。 フォントを小さくすれば一行で表示できる文字数は増える。 またプロポーショナルフォントを使うか固定幅フォントを使うかでも文字数は変わってくる。 ニュースをインターネット配信したり、新聞記事に段組するにあたり、段落に対応できない一太郎では使い物にならなかったのである。

タイプライターなら固定幅なので文字数は同じだが、アルファベット文化圏では昔から固定幅フォントは美しいとはされてこなかった。 そのような国際的なニーズにも、一太郎は対応できなかった。 日本市場のことしか考えてこなかったせいである。 これを「井の中の蛙」と言わずして、他にうまく比喩することができない。

他にも日本にはワープロという製品があった。 これも海外では普及しなかった製品ジャンルである。 そもそもパソコンとプリンタがあれば完全に同じことができるのに、文書作成以外に何もできないワープロなど私は最初から興味もなかった。 それどころかどうしてワープロが絶滅しないのか不思議であった。 ワープロ検定などという資格試験も作ったりして、業界全体で囲い込みを図った。 まさに日本だけのワープロ帝国を作った訳である。 カラーのノートパソコンが登場すれば、ワープロもカラー化して対抗。 マウスも付けた。 インターネット接続もできるようにした。 インターネット技術は日々進化していた時代だったので、ROMに焼いてしまったら「サービスパック」などのアップデートもできない。 同様にインターネットテレビというのもあったが、わたしは「なんて馬鹿なものを作ったんだ」とメーカーを嘲笑した。 だがやればやるほどパソコンに近づくだけで、ワープロとしてのアイデンティティーは薄れていった。 最大の問題は、データの互換性がメーカー間でない点だろう。 最終的にユーザもパソコンとプリンタを別々に買った方が、低価格で高性能、多機能だということに気づき、ワープロはめでたく絶滅した。

日本国内だけで囲い込んでいるものには、他にも携帯電話の周波数帯域がある。 海外で「ワールドフォン」と呼ばれる世界のどこでも使えると称した携帯電話を買っても、日本では使えないものが大半である。 わたしが最初にアメリカでAT&Tの携帯電話を買ったときには、iPhoneとTILTの2機種だけしか日本で使えなかった。

まだある。 テレビのハイビジョン放送や地上波デジタル放送などの規格である。 一足先に全てのアナログ放送が終了したアメリカの地上波デジタル放送と比べると、確かに日本の地上波デジタルの方が画質はいいように感じる。 しかしどうしてこの規格をアメリカと統一しなかったのか。 日本が採用しているNTSCというアナログ放送の規格は、南北アメリカ大陸で広く使われている規格である。 NTSCの利点としては、コンピュータのVGA規格とのマッチングの良さがある。 ヨーロッパや中国のPALとは走査線の数が異なっており、昔は変換の際にノイズが発生してしまい、日本でヨーロッパのテレビ番組を見ると画質が悪く感じられた。 これを見て「やっぱり日本の技術は世界最高」などと錯覚した人もいるに違いない。 だがヨーロッパでテレビを見れば画質は日本と同じ程度である(因みにPALの方が少し高画質)。 アメリカと歩調を合わせてきたのに、ハイビジョンで日本独自色を打ち出したあたりからおかしくなっていった。 最終的にハイビジョン放送は失敗に終わった。 全てNHKと通産省の責任である。 最終的には国民の税金が無駄に使われたことに憤りを感じる。

電子辞書という製品もあるが、これは日本以外の国にもある。 ただし日本製は、充電バッテリータイプは少ないし、パソコンと接続する機能もない。 拡張できない製品にすることが大事なのだ。 そうでなければ新製品が出ても消費者は買い換えてくれない。 任天堂やソニー製品のACアダプタの形状が他のメーカーと異なるのも同様の理由。

カーナビに関しても完全に日本市場だけである。 実はつい数年前までは日本のカーナビは世界でも最高クラスの性能だった。 ドイツで販売されているメルセデスやBMWの純正ナビは、白黒の小さい画面に矢印が一本表示されるだけで、地図は表示できない。 CDナビなので、国境付近になるとCDの入れ替えも必要である。 ヨーロッパやアメリカから来た知人は、日本のカーナビを見て絶賛した。 世界的な標準規格を策定したりして、政治的なリーダーシップを取っていけば、日本のナビは十分に成功できただろうに。 大胆な発想でGoogle Earth搭載のカーナビが出てしまった。 画質も実写だから高画質である。 グーグルが機能アップすることでカーナビも機能アップできる。 インターネットとの相性も抜群だろう。 渋滞情報も日本のようにFMラジオを使わなくてもいい。 これで日本の地図データ規格やカーナビソフトが標準規格としても採用されることは皆無となった。 これは失策の例である。


  • 円安は日本を救うか?

日本の経済界には中国の人民元が高くなれば日本の景気が回復すると弱腰なことを言っている人も大勢いる。 人民元は今16円くらいだが、これが160円になったらどうなるだろうか? Tシャツの仕入れ値が300円だったとして、これが3000円になるということに他ならない。 われわれ末端の消費者にとって何のメリットもない

人民元はアメリカドルに連動しているので、1ドルが1200円になっても同じ事である。 5000円のブランデーが5万円に、4万円のかばんが40万円に、1000万円のベンツが1億円になる。 安いときにベンツを買った人は大喜びで中古車屋に駆け込み、売ろうとすることだろう。 でも無駄である。 国内から新車が消えるだけで、中古価格が急激に上がるということはない。

これで喜ぶのは日本のメーカーである。 ベンツは1億だが、クラウンは500万円のままである。 輸入部品の値上げがあったとしても1000万円くらいで売ることは可能だろう。 よっぽどの金持ちか見栄っ張りでもない限り1億円もする高級外車を買える訳もなく、99.9%の人間が安い国産車を選ぶだろう(かつての日本がそうであったように)。 繊維業界も大喜びで2000円のTシャツの量産に入ることだろう。 しかしこれは本来淘汰されるべき企業の存命に過ぎない。 だから現在の不況は企業の整理を進める上でいい機会とも言える。

末端の消費者も日本の会社に勤めているので、最終的にはこの恩恵は自分にも返ってくるのだが、やはり物が高くなって外国製品を買えなくなったという点では面白くない。 海外旅行に行くにもホテル代が20万円もしたら行けなくなる。 また熱海の旅館が復興するかもしれない。 しかし今まで安かった同じ商品が急激に高くなると、人間の心理としては何か損をしたような気分になるだけである。

喜ぶのは政府も同じである。 Tシャツが2000円になるということはインフレになったという事を意味している。 そうなれば国債などで大量の負債を抱えていても帳消しになるのと同じだ。 また、そうでもしない限りとうてい返済できる金額ではなくなっている。


  • 株価対策は効果的か?

政府が株価対策をやっているが、ハッキリ言って無駄である。 今までの説明でも明らかだが、日本企業は中国に駆逐される運命なのである。 将来性のない企業の株価が上がるわけがない。 政府が何もしないから株価が下がるという経済評論家もいるが、机上で株価操作ができてしまったら逆に恐ろしいものがある。 それこそ社会主義国や独裁主義国と変わらない。 仮に株価操作ができるとして、「これから○○社の株価を上げる」という情報が漏れてしまったら一大事である。 といっても役人のやることだから絶対に漏れるだろうが。 実は無策のふりをして、この不況で淘汰されるべき企業には死んでもらおうという政策が裏にあるようにも感じる。 それならそれで、健全な自由競争なのだから仕方ない。


  • 社会主義国日本

日本の労働条件を変えれば多少持ちこたえられるかもしれない。 つまり工場でネジを締めているだけの単純労働者の賃金を5分の1くらいにするとかである。 言っちゃ悪いが、こういった労働者に高い金を払う理由などないのである。

アメリカは階層社会なので社会の底辺に黒人やメキシコ人といった階層の人々がいる。 彼らは安い賃金で働くしかないのである。 実は中国も同じで階層社会ができあがっている。 上海のような特区の登録住民と、出稼ぎに来ている非登録住民とでは天と地ほどの違いがある。 これは明らかに差別なのだが、特権や既得権益志向の強い中国らしい政策といえよう。 日本もこういう階層社会にしないとダメである。 労働組合に守られて、社会主義国の中国より平等な労働環境で働かせていてはダメなのである。


  • 特権階級制度

日本では官僚化が進んでいる。 福沢諭吉の「学問のススメ」が全面的に悪いとは言わないが、いい会社に入るために大学に行ったという人しかいないのが実情だ。 いい大学に入るには、いい高校に入ろうとする。 いい高校に行くために私学の中学に行ったりもする。 つまり生まれたときから、飼い犬になるための訓練を受けているのである。 どうして大学を出て、就職することだけを考えるのだろうか? 自分で会社を興そうという、ガッツのあるやつはいないのか?

経済学部を出てエンジニアをしたり、芸術学部を出て銀行の営業になったというような就職のミスマッチはよくあるが、これこそ官僚主義の典型である。 実際、文科系の大学ほどミスマッチは多いように思う。 理工系の方が潰しが利くから、本来は理工系の方がミスマッチは多そうなのだが、そうではない。 文科系の連中が大学で勉強してきたことは、実は実社会で役に立たないことが多いのが原因かもしれない。 日本の古典文学を勉強したとして、現実的に何の役に立つだろうか? 教養の一つとして飲み屋のうんちく話に使ってみるのもいいが、周囲から敬遠されるのがオチである。 残念ながら飲み会ではバカげた話題くらいしか出ないのが普通である。 それに比べるとハイテクな話題の方が、興味を引くに違いない。

たとえば土木会社を例にしよう。 誰もが現場の穴掘り仕事は嫌なので、現場監督になろうとする。 大卒は現場監督になれるという制度を作ったとしたら、全員大卒になることだろう。 さあ道路工事の現場に行ってみてびっくりである。 全員現場監督で旗を振っているだけで、誰も穴を掘っていない。 もちろん工事は進まない。 会社の経営は急速に悪化するに違いない。

こういった状況では誰に高い賃金を払うべきだろうか? 実際の穴掘り労働者に高い賃金を払うのが妥当だろう。 一部では有能な現場監督には高い賃金を払ってもいいだろう。 官僚化して特権意識に浸っている現場監督の連中は必要ないのでクビにするのが正解である。 つまりこういった非常事態においては、真に有能な人材しか要らないのである。 学歴でなく、本当に役に立つ人材が正当に評価される社会になることを願ってやまない。

まあ、実際はそれでも会社は倒産しない。 道路工事は官庁から貰った仕事なので、税金が財源だからである。 これで果たしていいのだろうか?

「俺は大学院を出ているから、いい会社で高い給料をもらう権利がある」などと思っている馬鹿なヤツらも多いが、実力のないものになど企業は金を出さない。 特権意識を持っているだけで実際の業務では使い物にならない連中ばかりなら、高卒の方が給料も安くていい。


  • ケインズ主義から成長しない日本

『穴を掘って埋めるだけの公共事業でもよい』というのがケインズ理論だが、実際には何の役にも立たない。 それでは金と労力の無駄であり、社会に役に立つものでなければならない。 オリンピックの前にスタジアムを作り、終わったら壊す。 まさしくケインズ理論の優等生と言えよう。

壊れやすい道路を作っては、補修工事を繰り返す。 これも同じである。 電気・ガス・水道は全て敷地内まで配管が済んでいる訳だから、道路を掘り返す必要はない。 でも国道246号線の渋谷~用賀までは、毎晩工事を行っている。 一年中、毎晩である。 年中行事というのはあるが、年中工事というのは頂けない。

イタリアのトリノ冬季オリンピックの際に、道路の補修をしているのをテレビで見た。 何とスプレーのペンキで横断歩道を塗り直していた。 同様の光景はアメリカでも日常的によく目撃する。 作業時間はわずか数分。 経費もスプレー缶一個と一人分の人件費。 さぞかし安上がりに違いない。 自分らで道路を補修していいのなら、町内会のおせっかい親父がボランティアでやってくれるだろう。 日本では5~6人の作業員+旗振り2人+現場監督が2日がかりといったところか。 おまけに重機のレンタル料等もかかる。

そこで提案したい。 政府が工事用の機器を備品として配備し、工事業者に貸与するというのはどうだろうか? どうせ年中使う訳だから、毎回レンタルするより買ったほうが安いに違いない。 だが永遠にそうなることはない。 政府にとっては金をばらまくのが目的なので、節約は禁物なのである。

昔は道路に「50Km高中」のように「高中」の文字が書かれていた。 この文字を描くのに数十万円ほど余計に経費がかかったという。 因みに「高中」とは高速車と中速車の意味だが、それ以外は原付である。 原付の法定速度は30Km制限なので、そもそも50Km出せるのは高速車と中速車だけである。 このためそういったバカバカしい出費は抑えよう、となったに違いない。 どうせ市民オンブズマンなどが抗議したから実現しただけで、政府が自ら考えたとは思えない。



  • 投資の失敗

中国に投資(金貸し)しているから中国の企業が成長したら日本の企業も儲かるという神話を信じている人もいるかもしれない。 実際日本の銀行なども盛んに中国企業に投資しているが、失敗例が数多くある。 ある中国政府系ノンバンクに金を貸した事例では相手のノンバンクが返済不能に陥ってしまった。 この場合債権者が資産の差し押さえなどを行うことができるはずだが、中国の裁判所に申し立ててもこれはできなかった。 もちろん裁判所に訴訟を起こしましたが結局ダメだった。

なんと日本とは違い中国には三権分立制度というものはない。 共産党による一党独裁である。 つまり独裁国家なのである。 裁判所は政府である人民代表会議の下に位置しており、政府の考え方一つで判決も変わるのである。 この事例では政府系ノンバンクが被告なのだから、その下に位置する裁判所が不利な判決を出すわけがないのである。

ロシアの社会主義が崩壊したときに多くの西側ヨーロッパ企業が投資を行ったが、最終的にはルーブル切り下げという切り札を使われ、借金の踏み倒しをされてしまった。 その教訓からヨーロッパは中国投資に対して今ひとつ消極的だったが、日本の場合は低金利や底を見ない株価の下落ぶりに、行き場を失った資金が中国にも大量に流れた。 中国がWHOに加盟した際にはロシア同様、人民元の切り下げを行うだろうという観測が出ていたが、何のことはないむしろ人民元高に推移している。 切り下げしてでも返すというのならまだ許せるが、絶対に返さないというつもりなら関係ないからかもしれない。

日本には明るい未来はもうないだろう。 せいぜい今を楽しんでおこう。
May,15th,2003
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